2019年 06月 01日
おこのミュージアム
滞在する最後の日。
お好み焼きソースで有名な
オタフクソースの工場見学&
おこのミュージアムに行ってきました。
たまたま行った時間は、
お好み焼きソースではなく、
ケチャップを製造している最中
でしたが(お好み焼きソースだけでは
ないのですね)ボトルに入れて箱詰め
されるまでの工程を全部見ることが
出来ました。
その後は、ミュージアムでお好み焼きと
ソースの歴史を学びました。
戦後、お好み焼きが広島の名物になる
までの過程を知って、ソース一つにも
いろんな歴史があるんだなぁと
感心させられました。
これは、戦後に主婦が家の台所を
利用してお好み焼き屋をしていた所を
再現したもの。
子育てしながら、家でお好み焼きを
焼いて売っていたんだそうです。
アンティークな物が並んでます。
広島のお好み焼き屋は、人の名前が
多いのですが、それは戦後、戦争に
行った夫が帰って来た時に、すぐに
自分の家が分かるように、妻が自分の
名前を店名にしていたからなんだそう。
そんな歴史があったなんて、全然
知らなかった。
男の人達は、移動式の屋台で焼いて
いたそう。
戦後、お好み焼き屋の屋台が
たくさん並んでいた場所が、
今でも広島のお好み焼き村と呼ばれる
ビルがある場所だと知って、
またびっくり。
歴史って知ると奥が深いです。
ミュージアム見学の後は、実際に
お好み焼きを焼く体験をしました。
普段、料理をしないうちのメンズ。
意外と上手です。
どこで知ったのか、外国人も結構、
来ていました。
上手に焼けたけど、やっぱりお店で
食べる方が美味しかったです。
簡単に見えて、プロにはいろんな
工夫と技があるんでしょうね。
でも、アメリカに戻ったら、
うちのメンズに焼いてもらいたいな。
夕方は、また母の病院に。
子供達とパパが母に会うたぶん最後。
母は気性に、また来年会おうね、と
言っていたけれど、それが叶うことは
ないであろうと分かっているので、
みんな涙を堪えることが出来ません
でした。
最後に握手をして、さよならをし、
後ろ髪を引かれながら帰りました。
辛いお別れの挨拶でしたが、
孫に会いたいと言っていた母の願いを
叶えてあげられて本当に良かったです。
私は、しばらく広島に残り、
毎日会いに行くつもりですが。
アメリカのドッグシッターさんから
送ってきた今日のココ。
なんだか、だんだんみすぼらしく
なってきてるような、、。
あと一週間で、パパが迎えに行くから、
頑張ってお留守番してるんだよー。
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Commented
by
nobikunJ at 2019-06-02 18:20
拝読して、実家にいる年老いた母に思いを巡らせてしまいました。
お母様、気丈な方ですね。
CoCoパパさんもご子息も立派な方々で、本当に頭が下がります。
お母様、しばらくはCoCoママさんと心休まる時が過ごせますよう、お祈りしております。
お母様、気丈な方ですね。
CoCoパパさんもご子息も立派な方々で、本当に頭が下がります。
お母様、しばらくはCoCoママさんと心休まる時が過ごせますよう、お祈りしております。
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Commented
by
cocoandnyo at 2019-06-02 20:40
by cocoandnyo
| 2019-06-01 20:38
| 日本
|
Comments(2)